チャペル便り第7号〈9月19日〉
「私は、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。」 ヨハネによる福音書12章47節
日々の聖句という小冊子があります。一日のうちに旧約聖書から一節、新約聖書から一節の聖書個所が示されているのです。ある日のものを紹介します。旧約聖書はホセア書11章8,9節を要約しますと、神さまは、自分の心に背くことができようか。私の心は憐れみで胸が熱くなる。私はもはや怒りを燃やさない。私は神であって、人ではない。あなたがたのただ中にあって聖なる者である。と心の思いを吐露されています。どうして、このようなことを言われるのかと言いますと、父なる神さまが、子なるイスラエルの民から、信頼関係の裏切りを受けたのです。そこで、神さまが抱いた思いが、ここに吐露されているのです。わたしたちなら、裏切られたら自分の心の思いのままに、怒りを燃やし、そのまま相手にぶつけることがあるかもしれません。神さまの抱かれる思いは、憐れみで胸が熱くなるのです。相手の犯した過ちに心を痛められるのです。怒りを燃やすことなく、どんなことがあっても相手のことをおもんばかるのです。そこまでされる神さまが、ご自分の独り子イエスさまをわたしたちに与えられました。この世に来られたイエスさまは、言われました。「私は、世を裁くためではなく、世を救うために来た。」。このみ言葉のもとにイエスさまは、生きられました。そこに十字架が立ちました。夏の間に、ステューデントホールオリーブに十字架が立ちました。わたしたちの学校は、神さまの思いがあらわされた十字架を見上げて、一日を生きています。