イエスのたとえ話

2021.11.22

「そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』・・・そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。』」   マタイによる福音書25章34節~40節

 今日の聖書はイエスのたとえ話です。
 神である王は人々を祝福して言いました。「お前たちは私が飢えていた時に食べさせ、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に尋ねてくれた」と。人々は「わたしたちが、いつあなたにそんなことをしたでしょうか。」と応えます。すると、王は「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言いました。病気の人、貧しい人にどう接したのか、それは神に対してしたことと同じなのだとイエスは言われるのです。
 このたとえを元に書かれた、トルストイの「くつやのマルチン」という物語があります。家族を亡くしたマルチンは、ひとりぼっちで心を閉ざして生活していました。靴屋として1日中働き、夜は聖書を読んで休みました。ある夜聖書を読んでいると、イエスの声が聞こえました。「クリスマスにマルチンのところへ行くよ」。マルチンは驚きましたが、嬉しくて、お茶やご馳走を用意して楽しみに待っていました。
 でも、クリスマスの日、イエスはマルチンのところには来ませんでした。ずっと外を見ていたマルチンは、雪の降る街を歩いている貧しい親子やお年寄りに気が付き、イエスさまに用意していたものをみんなあげてしまいました。
 その夜、マルチンにイエスの声が聞こえてきました。「マルチン、今日は美味しいごちそうをありがとう」マルチンは「いいえ、私はイエス様に何もしてません、お会いしてもいません」と応えました。しかし、イエスは言いました。「今日あなたが家に迎え入れ、ごちそうしてくれた人たちは、実はわたしだったのだよ、あの人たちにしたことは私にしたことと同じです。マルチン、今日はありがとう。」その言葉を聞いてマルチンはとても幸せな気持ちになりました。
 「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」意味深い言葉だと思います。今年は11月28日からアドベントに入ります。1日1日を、心を込めて過ごしたいと願います。
※写真は卒業生の保護者から届いた薔薇です。