イザヤ書の言葉
2022.01.24
「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの善い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、と シオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声を上げ 皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る 主がシオンに帰られるのを。」 イザヤ書52章7~8節
旧約聖書のイザヤ書は66章まで続く長い書物です。前半は預言者イザヤの言葉ですが、後半はイザヤが亡くなって以降の時代のことです。内容的には、以下のように3つに分かれます。
「1章~39章 第1イザヤ」 北イスラエルがアッシリアに滅ぼされるB.C739年からB.C.700年頃に書かれた。預言者イザヤの言葉。
「40章~55章 第2イザヤ」 イザヤは亡くなり、無名の預言者たちによってまとめられた。バビロニアにイスラエルが敗れ、主な人々がバビロニアに捕囚の民として連れて行かれたB.C.550年以降のことがまとめられている。
「56章~66章 第3イザヤ」 エルサレム帰還後の人々への言葉。
今日の聖句は第2イザヤの後半に当たり、長く捕囚の民であった人々がバビロニア帝国から解放された頃に書かれました。全体的に喜びにあふれた、美しい言葉で書かれた文章で、読まれることの多い聖句です。
捕囚の民となったのは、イスラエルの主だった人達でした。彼らの帰還は、残された人々にとって大きな喜びでした。みんなが戻ったことを告げて回る、見張りの人の足は、いかに美しいことか、神が戻してくれのだと喜んでいます。そんな風に故郷の人々に迎えられて、戻ってきた人たちも嬉しかったでしょう。しかし、しばらくすると現実が見えてきます。あこがれてきた故郷は、長い間に荒れ果て、これまでいたバビロニアの町とは大違いでした。バビロニアは繁栄した町で、捕囚の立場とは言えそこで活動していたので、故郷の課題の多さに直面し、失望するのです。でも喜びを持って故郷に戻り、迎えられた日のことを忘れないように、この聖句は繰り返し語られました。様々な時代にそれぞれの課題があります。今の私たちもそうです。課題を見つめつつ、でも感謝と喜びを忘れず歩みたいと思います。
※写真は、小学校体育館横の紅梅