【12月 園長だより】

2023.12.01

「クリスマスの思い出から」

 わたくしが小学2年生か3年生だった遠い昔、京都の町家の中に2階建てのレンガ造りの大きな病院が立っていました。

あるクリスマスの日に、町内の近所の子供たち数名がクリスマス祝会に招かれたことを覚えています。部屋の中の大きなクリスマスツリーが殊の外目立っていました。テーブルには一人ひとりにクリスマスケーキ、飲物は紅茶にジュースそしてココア、ローソクが灯り、部屋にはクリスマスの飾り付けがされていました。家でのクリスマスとは全く違う雰囲気を感じて緊張していたことを思い起こします。クリスマスソングを歌いましたが、知っていたのはジングルベルときよしこの夜だけでした。瞬く間に時間が過ぎ、帰りには彩りのよい紙に包まれたプレゼントを一人ひとり貰い、みんなは神妙に「長いことおやかまっさんどした」と挨拶をして家に帰りました。

それは何時もの京都の町内の生活とは違う雰囲気の世界を子どもながらに感じた時でした。同じように違う世界を感じたのは、大学生の時、船で横浜からナホトカそしてモスクワからヨーロッパに留学した時でした。スウエーデンに1年間留学生活をしたことで考え方や生活の仕様の違いを実体験として感じました。

日本を離れて生活することで、これまで自分が当たり前だと思っていた考え方が大きく問われてきます。外国での生活が私にとっては大きな異文化の実体験でした。現在では、世界はネットで結ばれ、世界のさまざまな出来事は、メディアを通して映像で瞬時に伝わってきます。しかし、この実際の体験こそが人を大きく変えていくのでした。

 

 幼児の時代に何を育むのが大切なのかは、保護者の方々は十分に理解され、子どもたちにいろいろな経験を与えていらっしゃることでしょう。日頃経験できないことを体験させることは大切です。

しかし、人を成長させる体験とは決して海外での生活や旅行などでしかできないものではありません。むしろ、いつも見慣れていることの中に新しい発見をする初々しい目と心を育むことが、これからの時代には大切なことだと思います。

見ても見ず、聞いても聞かずではなく、見えないものを感じる目、聞こえないものを感じる耳、普段の生活の中で気づく心が大切だと切に思うのです。

 聖書は、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」と語ります。この言葉の意味をわたくしたちは何時もの当たり前と思っている生活の中で、身をもって子供たちに示していきたいものだと思います。

 

 

学院長・園長 磯貝 曉成