本校校章のデザイナーの石川哉子さんにお話をうかがいました。

2015.07.23

6月9日(火)来日中の、本校の校章のデザインをした卒業生、石川哉子(イシカワカナコ)さんにお話をうかがうことができました。
現在はアメリカ人のご主人と双子の男の子を持ち、Kana Webster というお名前で、アリゾナ州フェニックス市でアートディレクターとしてご活躍です。

5月末からご家族で帰国なさり、ご主人の大好きな日本の観光や、親戚の方々との団らんの間に、時間を作って本校にも寄ってくださいました。とても気になっていてぜひ来校したいと思っていたと話してくださいました。

 

成美学園が横浜英和学院に校名を戻したのは1996年で、その2年前に校章のデザインを公募しました。
哉子さんはその当時、中学生の頃から美術系の進路を目指していて、1990年本校を卒業。多摩美術大学のグラフィックデザイン科に進学・卒業後、広告代理店でデザインの仕事をしている時に校章デザイン公募のニュースを知ったそうです。
デザインはアーモンド形の外側に校名を入れ、内側には校花である白と紫のあやめを上下に配し、十字架とYE(横浜英和)の頭文字をデザインしたものです。卒業当時、校章をシルバーリングにして卒業生への記念品としていたことが頭の片隅にあり、指輪にしても素敵なデザインをと考えていました。3~4点応募したデザインの中でも特に気に入っていたデザインなので、決定した時には本当にうれしかったと語っていました。

 

卒業後日本でデザインの仕事に携わっていた哉子さんは、仕事に忙殺される日々をリセットしたいと思い、1年間だけアメリカのコミュニティーカレッジに行くことを決めました。もともと高校時代には英語部に所属し、伊藤校長に英語を学び、美術に進むか英語に進むかと悩んでいたこともあって、英語をもう一度勉強するつもりでアメリカに渡りました。
アリゾナ州フェニックス市のコミュニティーカレッジでは、本来の専門であるグラフィックデザインだけでなく、ウェブデザイン、コンピュータアニメーションを学びました。コミュニティーカレッジでは日本の大学の単位を申請し、不足の科目を履修すれば卒業を認定してもらえるということを知り、日本の大学から単位を移動することによって通常より早い期間で卒業することができました。29歳の頃だそうです。
カレッジ時代に友人の紹介を経て出会ったのが現在のご主人で、1年の留学で帰国するはずが、カレッジの先生からの推薦でコンピュータアニメーションの奨学生として勉強したり、大学卒業資格があると移民局から交付してもらえるプラティカルトレーニングカード(大学卒業が条件の1年間のワーキングホリデー)を手にして、フェニックス市の日本庭園の受付や案内、コミュニティーカレッジの日本人留学生のサポートなどの仕事をしていましたが、その間にも着々と次のアクションを起こし、履歴書を現地のデザイン会社に送り、プラティカルトレーニング半ばにして、現在の会社SmartPracticeに入社しました。

 

現在はSmartPractice社の系列会社であるsmartscrubs社で、アートディレクターという要職に就かれています。
smartscrubs社(www.smartscrubs.com)は、医療関係のユニフォームのデザイン・販売を中心に行っている会社で、昔は白衣だけだった医療関係のユニフォームも、総合病院や大学病院用をカスタムデザインしたり、ソフトなデザインで患者の気持ちをリラックスさせるなど、どんどん進化しているようです。
アートディレクターという仕事は、それらユニフォームのデザイン、ウェブ広告のデザインやモデル・写真の手配など、忙しくも楽しい毎日を過ごしていらっしゃるとのことでした。
1年だけの留学のつもりが、様々なチャンスと出会い、そして何よりもアクティブな哉子さんの生きる姿勢が新しいステップへと導いてくれたようです。

アメリカに帰国後、お仕事風景の写真を送ってくださいました。