春のきざしに感じること

2021.03.01

 磯貝 曉成

 近所の住宅街を歩いていると,空き地に菜の花を見つけました。黄緑の柔らかな葉と暖かな黄色の花に,自ずと春を感じます。また,土手一面に咲き誇っている菜の花に出会うと,遠い懐かしい世界に引き戻されるようです。

 さて早朝の鎌倉街道で,あいさつを通して児童の登校を見守ってくださっている父の会の方々,有志の30余名の「おとうさん」の声掛けにはとても力強いものがあります。一人ではなかなか続きませんが,交代で行うことによって月水金にあいさつが響きます。児童の心にも響いています。ありがとうございます。

 

 過日,キリスト教学校教育同盟によるオンラインのシンポジュームとズーム会議が行われました。PTA総会のあいさつで少し触れたのですが繰り返してここに記します。

 「新型コロナ感染拡大の日本における実情と対策」と題して,東京医科歯科大学病院と国立国際医療研究センターのウイルス感染症の専門医師4名よる講演会でした。専門的な内容については,別に譲るとして,当たり前のことがどれほど重要かということが伝えられました。

 ・新型コロナ感染拡大阻止の決定打は,残念ながらまだ見出されていないということ。

 ・感染防止策の一つとしてのワクチンの接種がやっと動きだしたということ。

 ・緊急事態宣言が出て一時的に感染の拡大は抑えられるが,対処療法にすぎないこと。

 ・治療薬と,ワクチンが普及するまでの間,できることをできるだけやる以外にはないということ。

 医療関係者は日々治療に追われ,言わば「走りながらその持ち場で戦っている」ということでした。

 私たちにできることは,三密を避けること・マスクをすること・手を洗うこと・飛沫を飛ばさないことを日常生活の中で弛まず心がけることだそうです。問題は「その程度」が伝えきれないことだそうです。その程度を一律に具体的に伝えきれないが故に,多くの人たちは不安になり動揺してしまうのだそうです。

 6年生はこのような常にない状況を経験しながら卒業していきます。この経験は運命共同体としての体験です。誰もが避けられないこととして受け止めざるを得ないのです。この時に人はどうあるべきかを小学生と言えども一人の人として考えていると思います。自分にできることを自ら行っていくことの大切さを学んでいると思います。

 「詮方尽くれども,望みを失はず(文語聖書コリント後書4:8)」です。 

 「走りながらの戦い」も一人では続かない。長期戦の戦いである限り,その一人を支える人の存在が大切です。チームで支え合うことによって初めて解決への道を走り続けることができるのだそうです。一人では続けることができなかったとしてもチームによって支え合いながら今できることを続けていくことが大切なのです。学校も一校だけではなく,他の多くの学校と情報を交換しながら協力して進めています,もう少しです。