Principal's Message

青山学院横浜英和小学校
校長
中村 貞雄

青山学院横浜英和小学校は、「かけがえのない一人」に対して、神様からの「愛」を大切にしたキリスト教信仰にもとづく教育の場です。そのために、キリスト教学校として果たすべき人として重要な「人格教育」を根底に置いています。このことは、これから先の不透明な時代においても、日本でも世界でもどんな社会にあっても決して揺らぐことなく、必要とされる教育であると信じています。そして子ども達は、神様に祈りながら何が正しく正解なのか、自ら考え判断して行動できる大人へと成長していきます。人は、教育によって真の人間となります。受けた教育は、虫に食われたり盗人に盗まれることはありません。受けた教育の価値は永遠であり、失われるどころか使うほどにその輝きを増していき、一生を支える人生の土台となっていきます。青山学院横浜英和小学校は、これからも青山学院との教育連携の中で新しい時代に生きる子ども達を見据え、可能な限り社会と時代の要請に応えるために質の高い教育を構築していきます。

History

青山学院横浜英和小学校の歩み
明治時代、アメリカのメソジスト・プロテスタント教会の祈りと献金に支えられ、一人の宣教師、ハリエット・G・ブリテン先生が日本に派遣されました。日本の子どもたちの教育のために、ブリテン先生によって、山手48番にブリテン女学校が創立されました。創立から4年後には、文豪有島武郎が入学し、代表作「一房の葡萄」は、当時の思い出を綴ったものです。
ブリテン先生の後も、多くの宣教師によって学校が支えられ、発展してきました。中でも、ハジス先生の働きは、学院の歴史の中でも大切なものです。オリブ・I・ハジス先生は25歳で来日し、明治37年から昭和13年までの35年間校長を務め、現在の学院の基礎を築きました。
1880(明治13)年
H.G.ブリテンが山手48番にブリテン女学校を創立。
1886(明治19)年
横浜英和女学校となる。
1900(明治33)年
県知事の許可を受け横浜英和女学校附属年少学校(小学校)となる。
1908(明治41)年
小学校・幼稚園を本牧上台に移転
1923(大正12)年
小学校を蒔田の丘に移転
1929(昭和14)年
法人名を成美学園に改称、成美学園小学校となる
1996(平成8)年
法人名を横浜英和学院に改称、横浜英和小学校となる
2000(平成12)年
学院創立120周年記念式典
2003(平成15)年
新校舎完成
2004(平成16)年
新体育館完成
2010(平成22)年
創立130周年記念式典。
2019(令和元)年
青山学院大学と横浜英和小学校が系属校提携
2020(令和2)年
青山学院横浜英和小学校と校名変更
創立140周年記念式典