青山学院横浜英和小学校の歩み

明治時代、アメリカのメソジスト・プロテスタント教会の祈りと献金に支えられ、一人の宣教師、ハリエット・G・ブリテン先生が日本に派遣されました。日本の子どもたちの教育のために、ブリテン先生によって、山手48番にブリテン女学校が創立されました。創立から4年後には、文豪有島武郎が入学し、代表作「一房の葡萄」は、当時の思い出を綴ったものです。

ブリテン先生の後も、多くの宣教師によって学校が支えられ、発展してきました。中でも、ハジス先生の働きは、学院の歴史の中でも大切なものです。オリブ・I・ハジス先生は25歳で来日し、明治37年から昭和13年までの35年間校長を務め、現在の学院の基礎を築きました。
- 1880(明治13)年
- H.G.ブリテンが山手48番にブリテン女学校を創立。
- 1886(明治19)年
- 横浜英和女学校となる。
- 1900(明治33)年
- 県知事の許可を受け横浜英和女学校附属年少学校(小学校)となる。
- 1908(明治41)年
- 小学校・幼稚園を本牧上台に移転
- 1923(大正12)年
- 小学校を蒔田の丘に移転
- 1929(昭和14)年
- 法人名を成美学園に改称、成美学園小学校となる
- 1996(平成8)年
- 法人名を横浜英和学院に改称、横浜英和小学校となる
- 2000(平成12)年
- 学院創立120周年記念式典
- 2003(平成15)年
- 新校舎完成
- 2004(平成16)年
- 新体育館完成
- 2010(平成22)年
- 創立130周年記念式典。
- 2019(令和元)年
- 青山学院大学と横浜英和小学校が系属校提携
- 2020(令和2)年
-
青山学院横浜英和小学校と校名変更
創立140周年記念式典


