校長メッセージ

心を清め 人に仕えよ
今、世界では戦争や紛争が続いています。地球環境問題も深刻化しています。子ども達が大人になる20年後、30年後、日本や世界はどうなっているのか、私には想像もできません。しかし、今や人間に代わりAIが益々社会進出をし、世の中が目まぐるしく変わってきていることは事実です。対話型AIとかチャットGPT。みんながAIを使うことでAIが学習し、それが積み重なりAIによるAIの言葉、表現、思想が主流になっていきます。そうなったときに、「人間しかできないこと」は、どのくらい残っているのか。もはや後戻りできないところまでAIは進化を続けています。求められる社会能力も大きく変わり、学校も例外ではありません。
では、これからの学校教育に求められるものは何か。時代によって変わる知識や技能ではなく、自然や社会に生かされているという普遍的環境において、人として、人間としての基盤や人格を確立していく事は、感受性豊かな学童期の小学生時代には絶対必要なことだと考えています。
青山学院横浜英和小学校は、「真の人」を育てる学校です。小学校での6年間は、人としての「人間力」を磨く6年間です。知的学習はもちろん必要です。人間力を磨くためにも確かな基礎学習と技術を身につける必要があります。しかし、それだけではない。横浜英和のキリスト教教育によって「人間力」の土台が作られていくのです。
横浜英和学院は、創立以来「心を清め 人に仕えよ」のキリスト教精神に基づく人の生き方を体験を通して学び、豊かな人間性を培うことを大切にしてきました。豊かな人間性を兼ね備えた「人間力」は、これからの新しい時代を作り出す子ども達には必要不可欠であり、一人ひとりに与えられた神様からの愛と賜物を大切にしながら益々「人間力」を磨いていくことでしょう。
どんな時代、どんな社会にあっても、キリスト教信仰に基づいた、人としての人格の完成を目指す青山学院横浜英和小学校の教育は、これからの時代、今以上に重要となり必要とされる教育であると確信しています。
沿革
青山学院横浜英和小学校の歩み

明治時代,アメリカのメソジスト・プロテスタント教会の祈りと献金に支えられ,一人の宣教師,ハリエット・G・ブリテン先生が日本に派遣されました。日本の子どもたちの教育のために,ブリテン先生によって,山手48番にブリテン女学校が創立されました。創立から4年後には,文豪有島武郎が入学し,代表作「一房の葡萄」は,当時の思い出を綴ったものです。

ブリテン先生の後も,多くの宣教師によって学校が支えられ,発展してきました。中でも,ハジス先生の働きは,学院の歴史の中でも大切なものです。オリブ・I・ハジス先生は25歳で来日し,明治37年から昭和13年までの35年間校長を務め,現在の学院の基礎を築きました。
1880(明治13)年 | H.G.ブリテンが山手48番にブリテン女学校を創立。 |
---|---|
1886(明治19)年 | 横浜英和女学校に改称 |
1900(明治33)年 | 県知事の許可を受け横浜英和女学校附属年少学校(小学校)となる |
1908(明治41)年 | 小学校・幼稚園を本牧上台に移転 |
1923(大正12)年 | 小学校を蒔田の丘に移転 |
1929(昭和14)年 | 法人名を成美学園に改称,成美学園小学校となる |
1996(平成8)年 | 法人名を横浜英和学院に改称,横浜英和小学校となる |
2000(平成12)年 | 学院創立120周年記念式典 |
2003(平成15)年 | 新校舎完成 |
2004(平成16)年 | 新体育館完成 |
2010(平成22)年 | 創立130周年記念式典 |
2019(令和元)年 | 青山学院大学と横浜英和小学校が系属校提携 |
2020(令和2)年 | 青山学院横浜英和小学校と校名変更
創立140周年記念式典 |