校長メッセージ

校長 磯貝曉成

新しい時代へのメッセージ

横浜英和学院が創立された時代は、明治維新の動乱がまだ収まりきらない混沌の時代でした。
学院誌によるとアメリカから日本へ渡航が決まっていた宣教師ガスリー女史が、その渡航直前に重い病に倒れてしまいました。しかしその熱い教育の遺志を受け継いだ宣教師ブリテン女史が横浜にやってきて、本学院のもととなるブリテン女学校を創設して以来141年が過ぎたのでした。
その間には存続が危ぶまれる危難の時が一度ならずありました。しかしその都度、学院の人たちは絶望とも思える状態を祈りの中に静かに受け入れ、その絶望の先に希望を託して教育の灯を若き人たちに伝えてきたのでした。

2020年より横浜英和小学校は、中学高等学校と同じく青山学院大学と系属校の契約を交わし青山学院横浜英和小学校と校名を変更しました。
大学で学んだ学生が社会で活躍するにあたって必要なことは何でしょうか。世界が時間と国を超えて一体化した現代社会の動きに対応していく行動力、現実の先をも見通して現在を考える深い洞察力、そして何よりも想定外の事象に出会ったときにその現実を静かに受け入れ、その先を信じて生き抜く精神力が育まれていることが重要です。

魂が芽生えだす小学校の時代こそが人の成長に基本となるとの考えから、小学校と大学との教育のコラボレーションが生まれたのです。青山学院と横浜英和学院との系属校化は、共にメソジスト系キリスト教主義学校であることによります。
青山学院横浜英和小学校の新しい時代の幕開けであり、新しい時代を担う若き人たちの誕生です。

さて、社会は新型コロナウイルス感染の渦の中に飲み込まれています。感染はパンデミックとなりました。このコロナ禍の中、弱い者や少数者にしわ寄せが来ていることも事実です。職種や業種によっては経営や生活そのものが危ぶまれています。
デマが飛び交うことによる社会生活の動揺と混乱が起こっています。
新型コロナワクチン接種が動き出していますが、まだ遅々として進みません。医療体制の規模の限界も大きな課題です。

一人の人が生きるためには、一人の者の努力だけでは済まないことに多くの者が気づかされています。当たり前の生活と思っていたことが、実は様々な人たちの働きによって成り立っていたということに気づいた人たちは、この感染による重大な危機に、自分にできる範囲のことを一生懸命努めることが大切と感じています。

子どもたちも感染が拡大していく社会の様子をニュースで知り、社会が重大局面にあることを肌で感じているのではないでしょうか。そして健気にも自分なりに我慢しながら生活しているのです。
それにも限度があり、時には押さえていた気持ちが自然と爆発してしまうこともあります。そして、そのことに子どもたちは自ら小さな心を痛めてもいるのです。
知らず知らずに、人が生活して行く上で何が大切かという重要な体験をまさにこの重大局面で行っているのです。
私たちのスクールモットー『心を清め 人に仕えよ』を期せずして問われているのです。

「心を清め 人に仕えよ」

「心を清め」とは,自分の関心事だけに固執せず,相手の考えに謙虚に耳を傾けられる素直な心となることであり,「人に仕えよ」とは,自分のことから一歩進んで困っている人や弱い立場の人,少数者,ハンディを負う人たちに寄り添い,支えられるようになることです。

隣りの人と共に生きる中にこそ,自分自身が生かされている何ものにも代えがたい喜びを体験します。この自分の周りの人たちのことを思いやれる心を横浜英和の生活の中で培っていきたいものです。社会と人のために自らを鍛え,確かな学力と豊かな情操を身に着け,知性豊かな人になるよう児童・生徒そして教職員も含めて互いに努めていきましょう。

未知への探求心,感動する気持ちがその原動力になります。このスクールモットーを自分のものとするために,横浜英和の児童・生徒・教職員は将来を見据えて一人ひとり努めてまいります。

そして,どうしていいかわからなくなったときには,この聖書の言葉を思い出してください。

「爲(せ)ん方つくれども希望(のぞみ)を失はず (文語聖書コリント人への後の書4:8)」

沿革

青山学院横浜英和小学校の歩み

ハリエット・G・ブリテン先生

明治時代,アメリカのメソジスト・プロテスタント教会の祈りと献金に支えられ,一人の宣教師,ハリエット・G・ブリテン先生が日本に派遣されました。日本の子どもたちの教育のために,ブリテン先生によって,山手48番にブリテン女学校が創立されました。創立から4年後には,文豪有島武郎が入学し,代表作「一房の葡萄」は,当時の思い出を綴ったものです。

オリブ・I・ハジス先生

ブリテン先生の後も,多くの宣教師によって学校が支えられ,発展してきました。中でも,ハジス先生の働きは,学院の歴史の中でも大切なものです。オリブ・I・ハジス先生は25歳で来日し,明治37年から昭和13年までの35年間校長を務め,現在の学院の基礎を築きました。

1880(明治13)年 H.G.ブリテンが山手48番にブリテン女学校を創立。
1886(明治19)年 横浜英和女学校に改称
1900(明治33)年 県知事の許可を受け横浜英和女学校附属年少学校(小学校)となる
1908(明治41)年 小学校・幼稚園を本牧上台に移転
1923(大正12)年 小学校を蒔田の丘に移転
1929(昭和14)年 法人名を成美学園に改称,成美学園小学校となる
1996(平成8)年 法人名を横浜英和学院に改称,横浜英和小学校となる
2000(平成12)年 学院創立120周年記念式典
2003(平成15)年 新校舎完成
2004(平成16)年 新体育館完成
2010(平成22)年 創立130周年記念式典
2019(令和元)年 青山学院大学と横浜英和小学校が系属校提携
2020(令和2)年 青山学院横浜英和小学校と校名変更
創立140周年記念式典