1880年アメリカのメソジスト派女性宣教師ブリテンによって建てられた本校はキリスト教を基盤とした人格教育を行うことを目的としています。
「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、
皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、
皆の僕になりなさい。」
学校の一日は礼拝から始まります。讃美歌を歌い、聖書の言葉に触れ、自分を静かに振り返る時を持ちます。神から創造されたかけがえのない自分を知り、隣人と共に生きることを喜びとし、自分に与えられた賜物を磨き、愛と奉仕の精神をもって人と社会に貢献できる人間に成長できることをめざします。
校章は昔から蒔田の丘に自生していた素朴な花、あやめを図案化したものである。バックに、校色として校歌にも歌われている白と紫のあやめの花を、中央には、本校の礎であるキリスト教主義教育を象徴する十字架を配した。さらにやさしさやのびやかさを表現した装飾アルファベット書体でYE(横浜英和の頭文字)をあしらった。縦の楕円形でまとめられ、清楚な中に秘められた豊かさがさわやかに感じられる。1996年度の校名変更の際、公募作品より採用されたグラフィックデザイナー石川哉子氏(本校の卒業生、多摩美術大学卒業)の作品である。
ハリエット G.ブリテン
1880(明治13)年9月23日、ブリテンは日本の土を踏んだ。57歳の秋であった。彼女はニューヨークで育ったが、幼いころ転落事故で下半身付随になった。
18歳でようやく健康をとりもどすにつれ、宣教師になろうと決意し、20代をアフリカに、さらにインド伝道に20数年間をささげた。そのころ美普教会で日本布教が計画され、まず、エリザベス M.ガスリーが志願するが、来日の途上で亡くなった。ガスリーの遺志をついて海を渡ったのがブリテンである。「教える者がなくてどうして聞けるでしょうか。聞かないでどうして主を信じられましょうか。主の最後の言葉は『行け』でありました」と言った彼女のあつい心が横浜英和学院の礎である。